イジメを無くすアイデア

国を相手にした集団訴訟

○正当性1

「人の振りして我が振りなおす」というコトワザがある。イジメ加害者が存在した結果、その他大勢がイジメが悪い事だと認識し、その他大勢がイジメの加害者にならない仕組みがある。この仕組みにおいては、イジメの加害者に責任を求める行為はそもそも公平性に欠ける。故に社会全体、連対的に責任を求めるのが正しい。

○正当性2
「いじめられる者にも原因がある」この言葉は正しい。しかし、多くの場合、その原因は容姿だったり、とるに足らない個人特有の態度だったりと基本的には社会に害を与えたりしない。
本当の原因となっているのは、その原因を発生させた根本者。つまり、親。その親を生み出した親。更にいえばその親。その過程に子作りや、そのキッカケとなる恋愛を正当化してきた社会にある。
故に社会全体、連対的に責任を求めるのが正しい。

○正当性3
イジメの直接的加害者に責任を求めてはいけない。ということではない。が、
しかし、加害者はその他大勢に、
「人の振りして我が振りなおす」という教育的機会を創出しておらり、社会的に一定の割引を担っている。それを言いかえれば、その加害者が存在しなければ、本来被害者になったかもしれない者がイジメをする側にもなるかもしれない。
これは加害者になりえた者が、イジメの被害者になりえたなんていう同情しにくい仕組みであるから自己責任論を生み出しかねない。真面目な被害者は自己責任にして自らを追い詰めかねない仕組みであり、この問題は正当性2「イジメられる者にも原因がある」と相まって助長される。正当性2も踏まえて、あえて「社会に責任がある」事を公言しなければ、当事者たちは救済されない。



これら3つの論理をベースにして国を相手に集団訴訟をする。被害者原告は一万人を予定し、慰謝料請求は1兆円(1人あたり1億円)

外国人犯罪率の高さはマヤカシに違いない

人口数の問題である。

たとえば日本人が1億人で外国人が100万人だとする。
目撃者の情報から犯人が外国人だと判明すれば、容疑者である外国人は100万人に絞られるから、確率100万分の1である。同じように、日本人が犯人だと判明すれば、そこから捕まる確率は一億分の1である。

つまり、罪を犯したとき、外国人は日本人よりも100倍も捕まりやすいのなら、統計にもそう表れてしまうだろう。

在日韓国人の性犯罪率の高さとかはもう、ほうけい手術文化が起因しているとしか言えない。
チン皮は、できるだけあった方が、オナピーしやすい。
オナピーのやり方を知る前にチン皮切除したら、簡単な欲求不満の解消の仕方が判んなくて、性犯罪するだろう。

キリストだってそう言うよ。

『議論的エッセイ 』ネット上の記事に対して反論等していくエッセイ


人工甘味料でも糖尿病リスクが増す


http://diamond.jp/articles/-/38139?display=b

記事内の実験では、水を飲んでから糖を摂取する組と、人口甘味料を溶かした水を摂取してから糖を摂取する組とでインスリンの分泌量と血糖値の違いを指摘している。


インスリン分泌は間違いないだろう。
膵臓は第二の味覚とも呼ばれ、甘味を察知すれはをインスリンを分泌しようとする。人口甘味料といえど例外ではない。

問題は、

単なる水を摂取するのと、、何かをまぜた水(人口甘味料入りの水)を摂取するのとで、血中が吸収している水分量は異なるだろう。ということ。

つまり、何かを混ぜた水は、純粋な水よりも、吸収率が劣る。かもしれない。

この実験においては、何かを混ぜた水(人口甘味料入りの水)では血中の水分が増えにくい。かもしれない。

実験が純粋な水を飲んだ組だけ血液量が増えてるなら、血中の糖割合はそもそも低くなってあたりまえ。


記事後半についても、人口甘味料にて糖尿病リスクが上がった者が、もし人口甘味料を摂取しなかったからといって糖尿病にならなかったと果たして言えるかどうか、が重要だと思う。

人口甘味料を摂取してても、糖尿病になってない者らがいる、というのはむしろ事実であり、実験がそれを証明してしまっている。

インスリンが出なくなるのが糖尿病なのだから、インスリンを出す為の措置として人口甘味料に頼るのは、正解ではなかろうか?

たとえば近視が進んだ人はメガネに頼るしかない。
たとえば膵臓のボケが進んだ人は人口甘味料に頼るしかない。そんな単純な仕組みかもしれない。

ただし、人口甘味料が食欲を増させいくのはありうるかも。
インスリンを増やし、より多くのエネルギーを得てしまつなら、そのエネルギーが食欲を生み出す回路に使われてしまうかもしれない…

(>《》<*)お〜〜ヱ

友達作れば、友達作れない人に精神ダメージを与えるし、彼女作れば、彼女作れない人に精神ダメージを与える。
そのケアができる人なんてまずいない。だから、人類には友達や彼女を作る資格がない。

子供は作るべきできはない

死を経験した事がある者が、、生の価値を論じるなら説得力がある。
死を経験したことのない人が死の定めを与えてしまうのは、ある種無責任で、死の強制は犯罪。
親はすべからく犯罪者、加害者であるのに、子は被害者。でもその自覚が親にはない。

『扶養義務』という名目もおかしい。
正確には『償い』であるだろう。

根本的なところで、責任逃れの思想である。
『加害者を生み出しのた誰か?』
と、そこまで考えれば連帯責任のはず。

世界から全ての人間が消えた日

その日、その瞬間、俺はTVニュースを見ていた。生放送中のキャスターが突然消えたかと思うと、騒がしさも消えた。
ふと、外を見ると先程まで外で騒がしく遊んでいた子供も消えていた。

人間が消失した日

その事に気付くまでしばらく時間がかかった。最初のはTVの放送事故だと思ったし、外の子供達は遊び疲れてどこかへ行ったこだと思っていた。

人が消えるなんて普通は考えられない。少なくともその日の俺はTVのチャンネルの複数が放送事故になるまで、また夜食を買いにコンビニに行きくまで気が付かない。

店員のいないがらんと開いたレジ、駐車場に車は複数あれど客はいない。
「おーい!」呼びかけに誰も答えない。
奥にも誰もいない。

そこからコンビニ内を30分程うろうろしただろうか。
金だけ置いて品物を持って帰る事もできただろうし、人によっては万引きもできるこだろうが、オレはそのまま別のお店を目指した。

少し離れた所にスーパーがあるから、そこで食物(くいもの)を買おうと思うと思ったのだ。

スーパーに行くまで、いや、コンビニに来た時からオカシイことには気付いていた。
車があちこちで事故をしている。横転していたり衝突していたり、

しかし、そこには誰もいない。誰も乗っていない。
炎上しているのに消防車もいない。
電話を掛けても誰も出ないり

その頃には薄々気づいていた。
俺に異常な事態が起こっているのだということか、もしくは世の中に異常な事態が起こっていることに


確信にめいたものが生まれたのはスーパーの中にて、白い煙が漂っていたときだ。
最初それは火事だと思った。
しかし、火のようなものは見えず、出火元も見えない
その煙は無臭でもあった。

煙は俺にまとわりつくと、次第に大きくなり、視界が遮られる

振りはらおうと出口へ向かおうとするが、一向にたどり着かない。
壁、もしくはドアがある筈だが

「君が最後なんだ」
そう声が聞こえたような気がした。
誰かが話しかけた気がした。
と同時に
煙が視界消える。

といより、煙が口の中に入ってくる。

全ての煙が俺の中に吸い込まれたとき

全ての人間が